編集部より
この記事は、全3回でお届けするインタビューシリーズの第2回です。
第1回では、「保育の質」は一文で定義できるものではなく、関係性やプロセスの中で立ち上がる、見えにくい専門性であることを考えてきました。
今回は、その専門性が別の社会では、どのような前提で扱われているのかに目を向けます。
北欧の保育から見えてきた、日本の当たり前
「北欧では、保育士は大学教授並みに尊敬されている」
授業やSNS、何気ない会話の中で、
そんな言葉を聞いたことがある人も多いと思います。
でも、
「尊敬されているって、どういう意味?」
「お給料が高いってこと?」
「日本の保育と、何がそんなに違うの?」
正直なところ、よく分からないまま、
「すごいらしい」というイメージだけが先行していました。
前回の記事では、「保育の質」は関係性やプロセスの中で立ち上がる、
とても見えにくい専門性だということを学びました。
だからこそ、こんな疑問が浮かびます。
「その見えにくい専門性は、北欧ではどう扱われているんだろう?」
日本と北欧、どちらが良い・悪いという話ではありません。
ただ、前提が違う社会を知ることで、
日本の保育を、別の角度から考えられるかもしれない。
今回も、山岸さんに、
北欧の保育と日本との違いについて話を聞きました。
「なぜ北欧では、保育士が“専門職”として位置づけられているのか」
その背景を、一緒にひもといていきます。


北欧では「一番優秀な人が保育士になる」と言われることがあります。本当に、保育士は社会的に高く評価されている仕事なのでしょうか?
日本では「給料が安い仕事」として語られることが多く、その違いがどこから生まれているのかが、正直よく分かりません。

結論から言うと、北欧では保育士ははっきりと「専門職」として位置づけられています。
ただし、それは「給料が高いから尊敬されている」という単純な話ではありません。
まず大きいのは、誰がその仕事に就くのかという前提の違いです。
北欧の多くの国では、保育士になるために大学レベル、場合によっては修士課程での教育が求められます。入学段階で競争率が高く、「学力や判断力、適性のある人が目指す仕事」という社会的な認識があります。
そのため、「誰でもなれる仕事」ではなく、
専門的な判断を任される仕事として見られているんです。
もう一つ大きいのは、保育士が担っている役割の捉え方です。
北欧では、保育は「子どもを預かる仕事」ではありません。
民主主義社会を支える市民を育てる、公共性の高い仕事だと考えられています。
だから現場の保育士には、
マニュアル通りに動くことよりも、その場で考え、判断する裁量が与えられています。
一方、日本では、保育士の話題になると
「給料が安い」「大変な仕事」といった側面が強調されがちです。
もちろん、処遇改善はとても重要です。
ただ、北欧との一番の違いは、
お金の多寡よりも、社会がその仕事をどう位置づけているかという点にあります。
保育士を「専門的な判断を担う存在」として信頼しているのか、
それとも「決められたことを安全にこなす役割」として見ているのか。
その前提の違いが、評価の差として表れているのだと思います。


日本と北欧で、保育の前提はどこが一番違うんですか?

一番大きな違いは、
「保育士を“判断する専門職”として、どこまで信頼しているか」だと思います。
北欧では、保育士は単に「子どもを見る人」ではありません。
子どもの育ちについて考え、状況に応じて判断する専門家として位置づけられています。
そのため、細かいマニュアルや一律の正解を用意するよりも、
「その場でどう判断するか」が重視されます。
たとえば、子ども同士のトラブルが起きたときも、
すぐに大人が介入するのではなく、
• 今は見守るべきか
• 言葉をかけるべきか
• 関係性に委ねた方がいいのか
を、保育士自身が考えて決めます。
一方、日本の保育はどうでしょうか。
日本ではこれまで、
• 安全管理
• 公平性
• 基準の遵守
をとても大切にしてきました。
その結果、「誰がやっても同じ質になること」「事故を起こさないこと」が、強く求められる構造になっています。
これは決して悪いことではありません。
むしろ、子どもを守るために欠かせない視点です。
ただその一方で、
保育士一人ひとりが行っている判断や工夫が、社会から見えにくくなってきた側面もあります。
まとめると、日本と北欧の違いは、能力の差ではありません。
信頼の置き方の違いです。
北欧は、
「専門教育を受けた人なら、判断を任せていい」
日本は、
「判断を個人に委ねすぎない仕組みをつくる」
どちらも子どもを大切にする考え方ですが、
その前提の違いが、保育士の見え方や社会的評価の差につながっているのだと思います。


北欧では、保育は社会の中でどんな役割を担っているんですか?

北欧では、保育は
「親を助けるためのサービス」や「子どもを預かる場所」としてだけでなく、
社会そのものを支える基盤として考えられています。
具体的には、保育は
「将来の市民を育てる公共的な仕事」だという位置づけです。
たとえば北欧の保育では、日々の生活の中で、
• 自分の気持ちを言葉にすること
• 他者と話し合い、折り合いをつけること
• 違いを尊重しながら一緒に過ごすこと
が、とても大切にされています。
これは、勉強を早く教えるためではありません。
民主主義社会を支える力を育てるためです。
また、保育は「家庭の代わり」ではなく、
家庭とは異なる視点をもつ社会的な場だと考えられています。
だからこそ、保育士には
「子どもをどう育てるか」を考え、その場その場で判断する役割が求められます。
言い換えると、北欧では保育士は、
未来の社会を形づくる仕事を担っている専門職なんです。
その役割の重さが、
教育内容、裁量の大きさ、そして社会的な評価へとつながっています。

その考え方は、日本でも取り入れられると思いますか?

一部は、十分に取り入れられると思います。
ただし、北欧をそのまま真似することはできません。
日本と北欧では、
家族の形、働き方、地域とのつながり、
そして保育に求められてきた役割が違います。
だから、「北欧ではこうだから、日本もこうすべき」という単純な話ではないんですね。
ただ、考え方のヒントとして学べることは、とても多いと思います。
たとえば、
• 保育士を「判断する専門職」として信頼すること
• マニュアルよりも、専門教育や省察を重視すること
• 結果だけでなく、そこに至るプロセスを大切にすること
こうした視点は、日本の保育にもすでに一部取り入れられていますし、
これからもっと広げていける余地があります。
重要なのは、制度を変えることだけではありません。
保育の仕事が、
「大変そう」「かわいそう」と語られるのではなく、
「社会にとって必要で、誇りを持てる専門職」として語られるようになること。
そのためには、
現場、学生、研究、そして社会がつながりながら、
保育の専門性を言葉にし、共有していくことが欠かせません。
日本の保育は、まだまだ変わっていけます。
そして、その担い手になるのは、
これから現場に立つ、みなさん一人ひとりだと思います。

保育現場の皆さんは、私たち学生にどんなことを期待していると思いますか?

一番期待されているのは、
「保育の仕事を、自分たちの言葉で語っていくこと」だと思います。
現場の保育士さんたちは、日々の保育の中で、
大切にしている判断や工夫、迷いをたくさん持っています。
ただ、それを社会に向けて言葉にする時間や場が、これまであまりありませんでした。
だからこそ、これから保育の世界に入っていく皆さんには、
「教わる側」だけで終わらず、つなぐ役割を担ってほしいと思っています。
保育の実践と、
社会や制度、研究の言葉を結びつける存在です。
実は、私たちの法人でも、学生の皆さんと一緒に、
そうした対話の場をつくる準備を進めています。
現場の実践を共有し、
学生が疑問を投げかけ、
そこに研究や制度の視点を重ねていく。
そうした往復を通して、
保育の専門性を、社会と共有できる形にしていきたいと考えています。
その中心に、
これから保育を担っていく学生の皆さんが立つことに、
とても大きな意味があると思っています。
まとめ
「すごい」だけじゃなく、考える材料をもらった気がしました
北欧の保育と聞くと、どこか遠い世界の話のように感じていました。
「一番優秀な人が保育士になる」「社会的評価が高い」──
そんな言葉だけを見ると、日本とは比べものにならない存在のようにも思えます。
でも、今日の話を聞いて分かったのは、
北欧の保育が特別なのではなく、保育をどう位置づけているかという前提が違うということでした。
北欧では、保育は子どもを預かる仕事ではなく、社会をつくる仕事として考えられています。
だからこそ、保育士は判断する専門職として信頼され、その役割に見合った教育や裁量が与えられている。
それは、「日本も同じにならなければいけない」という話ではありません。
でも、日本の保育を考え直すためのヒントが、確かにそこにありました。
私たち学生にできることは、北欧をまねることではなく、
日本の保育の良さや難しさを、自分たちの言葉で伝えていくことなのかもしれません。
これから現場に立つ立場として、
「保育って、どんな仕事なの?」と聞かれたとき、
今日聞いた話を、少しでも自分の言葉で説明できるようになりたい。
北欧の保育を知ったことで、
日本の保育をもう一度考え直す、スタート地点に立てた気がしました。
次回に向けて
北欧の保育を知ることで、
日本の保育が大切にしてきたこと、そして、まだ十分に言葉になっていないことが見えてきました。
でも、ここで大切なのは、
「北欧のようにならなければいけない」ということではありません。
むしろ、問うべきなのは、
• 日本の保育は、これからどうありたいのか
• 私たちは、何をつくっていけるのか
ということです。
その答えは、誰かが用意してくれるものではなく、
これから現場に立つ一人ひとりが、考え、行動する中で見えてくるものなのかもしれません。
最後の記事では、
日本の保育の強みをあらためて見つめ直しながら、
学生や若い保育士にできることを、一緒に考えていきます。
→ 記事③「これからの日本の保育、私たちは何をつくっていけるんだろう?」
