これからの日本の保育、私たちは何をつくっていけるんだろう?

この連載は、3つの問いをたどってきました。
第1回| 見えにくかった専門性に、言葉を与える
第2回| 前提の違いを知り、視点を広げる
第3回| 自分たちの番として、問いを引き取る
保育の質とは何か。
その専門性は、なぜ社会に伝わりにくいのか。
そして、他の国では、保育はどのように位置づけられているのか。
前回までの記事で、私たちは
「答え」よりも、「考えるための材料」をたくさん受け取ってきました。
ここから先は、
「誰かがつくった正解を学ぶ時間」ではありません。
これから現場に立つ私たち自身が、
日本の保育をどう語り、どう育てていくのか。
その問いを、自分の手元に引き寄せる回です。
日本の保育は、決して遅れているわけではありません。
安全を大切にし、一人ひとりの子どもに丁寧に向き合ってきた、確かな歴史があります。
一方で、
保育の専門性が社会にどう伝わっているのか、
その価値をどう言葉にし、どう共有していくのか。
まだ、私たち自身が考え続ける余地も残されています。
これからの日本の保育、私たちは何をつくっていけるんだろう?
その答えを探すために、最後は、
「今、私たちにできること」から考えていきたいと思います。

一般社団法人 信州子育てみらいネット代表
山岸裕始
中山

日本の保育の強みは、どこにあると思いますか?

山岸

日本の保育の一番の強みは、

子ども一人ひとりとの関係性を丁寧に積み重ねながら、環境によって育ちを支えようとしてきたことだと思います。

今、現場では「環境設定」の大切さが、強く意識されるようになっています。
たとえば、もし私が3歳のとき、保育園でたまたまバイオリンのおもちゃに出会い、それに夢中になっていたら──
もしかしたら今ごろ、プロのバイオリニストになっていたかもしれません。
もちろん、本当にそうなったかは分かりません。
でも、保育で大切にされているのは、
子どもが「何に出会い、何に心を動かされるか」その可能性を閉じないことです。
大人が「これをやりなさい」と教えるのではなく、
子どもが自分から関わりたくなる環境を用意する。
そこに、日本の保育士の専門性があります。
こうした考え方は、実は保育所保育指針の中に、ずっと一貫して書かれてきました。
「環境を通した保育」という言葉は、単なるスローガンではありません。
子どもの可能性を引き出すための、保育の軸です。
現場では今、その考え方が、少しずつ具体的な実践として形になってきています。
だから私は、日本の保育はすでに、
「子どもの可能性を広げる保育」へ、確実に歩みを進めていると思っています。

中山

それでも、これから変えていく必要があるのはどこだと思いますか?

山岸

一番大きいのは、

保育の価値や専門性が、社会に伝わる形になっていないことだと思います。

現場では、子どもの可能性を引き出すための工夫や、
高度な判断が、毎日のように行われています。
でも、それが
「何がすごいのか」
「どんな専門性なのか」
という言葉には、あまりなってきませんでした。
その結果、保育はどうしても
「大変そう」
「優しそう」
「好きじゃないとできない仕事」
といったイメージだけで語られてしまいます。
また、制度や評価の仕組みも、
安全管理や基準の遵守といった守るための視点に、どうしても偏りがちです。
これは、子どもを守るうえで欠かせないことです。
ただ同時に、
育ちを支える判断
環境をつくる技術
といった、保育の核心部分が、見えにくくなってきた側面もあります。
これから必要なのは、
現場の実践を変えることや、否定することではありません。
すでに行われている保育の価値を、社会と共有できる形に翻訳していくことです。
そのためには、現場だけでも、制度だけでも足りません。
学生、現場、研究、社会がつながって、
保育の専門性を言葉にし、伝え、考え続けていくこと。
そこが、これから変えていく必要のある、いちばん大切なポイントだと思います。

中山

保育の価値を社会に伝えていくために、学生や、これから現場に出ていく若い保育士にできることは何だと思いますか?

山岸

まず大切なのは、

日々の保育を、自分の言葉で振り返ることだと思います。

たとえば、
• なぜ、その声かけをしたのか
• なぜ今日は、あえて待つことを選んだのか
• 環境をどう整えようとしたのか
こうした判断は、実はとても専門的なものです。
でも普段は、「なんとなく」「感覚的に」で済まされてしまうことが多い。
それを、うまく言えなくてもいいので、言葉にしてみる。
それだけで、保育は
感覚の仕事から、考える専門職の仕事へと、一歩進みます。
ただ、ここで一つ大事なことがあります。
それは、一人で振り返っているだけでは、社会にはなかなか伝わらないということです。
保育の専門性は、
誰かと話し、共有し、問い直す中で、
少しずつ「共通の言葉」になっていきます。
だからこそ、
• 学生同士で、保育について語り合ってみること
• 若い保育士同士で、判断や迷いを言葉にしてみること
• 現場の声と、研究や制度の視点が交わる場に出てみること
そうした「場」に関わること自体が、
これからの保育をつくる行動だと思います。
特別なことをしなくてもいい。
まずは、自分の経験を、誰かと共有してみること。
そこから、保育の専門性は、少しずつ社会に届いていくのだと思います。

中山

その一つの試みが「保育みらいフォーラム」なんですね?

山岸

そうですね。

「保育みらいフォーラム」は、ここまで話してきた問いから、自然に立ち上がってきた場だと思っています。

保育の現場には、すでにたくさんの知恵や工夫、判断があります。
でもそれらは、どうしても
園の中だけ、
個人の経験の中だけに、留まりやすい。
一方で、研究や制度の世界には、
概念や言葉、枠組みがあります。
ただ、現場の実感とは、少し距離があることも少なくありません。
そのあいだを行き来しながら、
「これは何が起きているんだろう」
「なぜ、そう判断したんだろう」
と、立ち止まって言葉にする場が、これまであまりありませんでした。
フォーラムでやろうとしているのは、
正解を出すことでも、
優劣を決めることでもありません。
• 現場で、実際に何が起きているのか
• そのとき、どんな判断が行われているのか
• そこに、どんな専門性が立ち上がっているのか
そうしたことを、
学生、現場、研究、そして社会が、
同じ目線で考えてみることです。
その中核の一つとして、
「保育クリエイティブバトル」という実践型の取り組みも行います。
これは、競争を目的としたものではありません。
むしろ、保育の多様な価値を可視化し、
次の世代が
「こんな関わり方があるんだ」
「こんな保育士になりたい」
と思える材料を増やすための仕組みです。
技能五輪の考え方をヒントにしながら、
保育の技能を、評価ではなく共有の対象として扱えないか。
その問いを、学生自身が中心になって考えていきます。
特に学生の皆さんには、
「教わる側」「見ている側」ではなく、
問いを投げかけ、場を動かす側として関わってほしいと思っています。
保育の未来は、
誰かが完成させるものではありません。
こうした対話の積み重ねの中で、
少しずつ形になっていくものだと思います。
フォーラムは、その完成形ではなく、
問いを引き取るためのスタート地点の一つです。

まとめ

これまで、保育の質について考え、北欧の保育を知り、そして日本の保育のこれからについて話を聞いてきました。
正直、最初は「難しい話」だと思っていました。
制度や研究、社会的評価といったテーマは、学生の自分にはまだ早いものだと感じていたからです。
でも、話を聞く中で、少しずつ考え方が変わっていきました。
保育は、すでに現場でたくさんの工夫や判断が積み重ねられていて、
決して「足りない仕事」ではないこと。
そして、その価値が、まだ十分に言葉になっていないだけなのだということ。
実習で見た、子どもが何かに夢中になる瞬間や、
保育士さんが、そっと距離を変える姿。
あの一つひとつが、ちゃんと意味のある専門性だったのだと、今なら言える気がします。
「学生は、学ぶ側でいればいい」
そう思っていたけれど、今日の話を通して、
考える側に立ってもいいんだと思えるようになりました。
保育の未来は、誰かが決めてくれるものではなく、
現場に立つ一人ひとりの問いや対話の中で、少しずつ形になっていく。
その途中に、学生の声があってもいい。
むしろ、必要なのかもしれません。
「これからの日本の保育、私たちは何をつくっていけるんだろう?」
この問いに、すぐ答えは出ません。
でも、考え続ける場所があり、
一緒に話せる人がいることは、とても心強いと感じました。
これから現場に立つ一人として、
今日もらった言葉や問いを、自分の中で育てながら、
保育と向き合っていきたいと思います。

編集部より

この連載では、保育学生の視点を起点に、
保育の質、北欧の保育、日本の保育のこれからを考えてきました。
3回を通して見えてきたのは、
保育は「足りない仕事」ではなく、
すでに多くの専門性と実践を内包している仕事だということです。
その価値を、どう言葉にし、どう社会と共有していくのか。
この連載が、その問いに立ち止まるきっかけになれば幸いです。

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